新聞を見た時、高齢で亡くなった人たちも表記されているなか、あいつの年齢だけがやけに浮いていて、思わず「何やってるんだよ」って零してしまった。
一昨日、小・中学校時代の同級生が死んだ。死因までは書いていなかった。何気なく見たおくやみの面で知って、地元の友達に確認してもらい、同姓同名だとか誤植だとか、そんな話にはならなくて。やるせない気持ちは師走の忙しさのせいにして、今は仕事に戻っている。


追記 12月21日
訊いたよ。バカヤロウだよ、おまえ。


秋晴れの空。多くの記憶の背景となった、あの淡い青空。
そんな色に気づく度、好きなものが変わっていないことを嬉しく思う。
鳥は好きだよ。そう返事をする僕に、全然似合わないと君は笑った。
いつも君好みではない答えになってしまうのは、きっと僕好みの質問ではないからなのかな。笑い返して吐き出す息は白く、ゆっくりと宙に昇った。もしかすると、この空はもう冬空なのかもしれない。だからこそ、僕らはこんなにも寂しい笑い方をしてしまうのだろうか。


本当は、好きじゃない。翼に憧れすらないよ。
空の高さなんて知らなくてもいい。世界だって狭いままでいい。
思い返すだけで切なくなる今を、まだ僕は整理しきれていないんだよ。


やっと言葉にすることが出来たと思ったのに、言うべき相手が居なくなってしまった。そう笑う君に、どんな表情で笑い返したら良いのか分からなくて、ただ頷いた。
簡単に非を認めるあいつは、卑怯な人だったと思うよ。
結局、僕らが代わって拾うのだから、さっさとそう零せば良いのに。
意識をして大袈裟に笑う、そんな私は惨めですか、なんて訊くなよ。
知らなかったことも、知りたくなかったことも、多過ぎただけなんだ。


ビール九杯、ズブロッカボトル四本。五時間かけて、三人で。
過去を時系列に並べるのが面倒だからと、ここ数日の出来事のように君は話した。その話の中には「Cloudberry Jam」だとか「スプートニクの恋人」だとか、懐かしい言葉が含まれていて、悲しい物語なのに僕は少しだけ優しい気分になる。


要するに。素面になった今、よく考えてみれば。
あいつのそばへと戻るには、君は泣き過ぎた。
きっと、そういうことなんだと思う。


一日中、降り続く雨。
思えば九月はよく雨の降る月になった。そして置き忘れた傘たち。今ではもう、どこにあるのかさえも知る事は出来やしない。


友達と呼べる人に会ったのは二ヶ月振りだった。
そう呼べるはずだった奴らが、おもしろいくらいに減っていくよな。そんな言葉に対し、互いの年齢と安っぽい義理堅さを持ち出して笑った。
僕らは懐かしがってばかりで、いつかは見失ってしまうかもしれない。
あの頃と同じように、現在でもそう思っているよ。


もっとグーダラしていたかったなあ、と連休が明けてから思った。
千枚ちょっと。この数日間でそれだけの数の写真を撮った。妻と娘、子供の日の動物園、近所の公園やそこに咲く桜。散歩日和の晴れた空と、その後で雨に濡れた道路だとか。そういえば春雷が鳴って、初めて雨が降っていたことに気づいたんだっけ。そして虹を見つけて誰よりも高揚した。昔は簡単に見つけられたはずの虹なのに、現在こうして古いアルバムを捲っているような気分になってしまうのは、あの頃のように上を見ながら歩いていないせいなのかもしれない。そんな気がした。


虹の麓には階段がある。そんな嘘をついたのは僕の父だ。
それを幼少時代の僕が信じたのかどうかは別として、いつか同じ話を娘に聴かせてみたい。絶滅した月の兎やサンタクロースなんかよりも、ずっと素敵な嘘だ。