本気で泣いた。だから、あなたも本気で困ればいい。 酷い捨て台詞を思いついたもんだ。そう呆れる僕に「本気で泣くわけなんかないのにね」と君が笑う。僕は意地の悪い表情で、強がり方も酷いな、なんて返し、眉を歪めた君は「性格が悪い」と不貞腐れる。僕は…

見上げた月があまりにも綺麗な弧を描いていたので、あれは優月の“月”なんだよ、と娘に教えたことがある。以来、彼女は陽が沈むと思い出したかのように「ゆづきの おつきさまはぁ?」と外に連れ出そうとし、僕も晴れた夜ならば「うさぎさん、お餅をついている…

何かを失う時くらい、君は構えるべきだった。 そんな相槌を返す僕に「ただの説教なら訊かない」と君が笑うから、ただの見解だよと誤摩化した。君はひと呼吸を置いたまま物思いに耽り、やがてお気に入りの台詞を口にするように「彼に忘れられてゆく私は何を忘…

「有り難う」でもなく「ごめんね」でもなく、私たちは「さよなら」で別れましょう。そう思ったのだと話す君を誇らしいとさえ感じた。 男前だな、と笑う僕に、君は少しだけ口元を上げながら「褒められてるんだよね」と笑い返す。それから、何年続いたのかだと…

「夏は終った」と君がいうから、何を根拠にそう思ったのか分からないけれど便乗することにした。急いで風鈴を外し、風情がないと嫌悪していた冷風機を片付ける。点し忘れた花火をバケツの水に浸しながら、暮れる陽の高さと速さを確かめて、薄らと滲んだ額の…

君の前では零せない涙だってある。 面倒な女の台詞でしょう。そう訊ねる君に、僕なら言われたくないな、と笑った後で「だけれど、意味がないよ」と返した。小さく頷いた君は「意味を考える前に、」と悪戯な表情を浮かばせて「理由を知ることが先だと思わない…

それぞれの都合を優先させて、初めて君の命日を一人で過ごした。 昔のように生きられなくなってしまったことを「必然」で片付けたくはないけれど、たぶんそういうことなのだと思う。被害妄想だらけの年齢が過ぎてしまえば、いつまでも好戦的な態度で悲しんで…

僕にとってのターニングポイントは、いつだって季節の変わり目でありたい。例えば春雷が鳴り響いても、事を諦めるには丁度良い雨だと思いたい。何かを始めたり終わらせたり、継続のその決意でさえも、季節に合わせてゆけばきっと上手く運ぶような気がする。…

降り止まない雨の例えの後で、だけれど私は、と君は笑った。私は陽の温もりだけで足りるほど謙虚な人間じゃないよ。 そんな古い記憶を巡らせたのは、君から届いた「らしく」はない便りに動揺したせいなのかもしれない。格式張った招待状の隣で歪にひと折りさ…

「代価は要らないから、全ての本を引き取ってもらえませんか」 君が馴染みの古本屋の店主にそう尋ねると、彼女は承諾の代わりに、何かあったのかいと訊いてきた。そういうことが出来る人間になりたかったんですよ。君は本当の理由を言わずに誤摩化した。 君…

フライング。 嘘をついた君に、意地悪く暦を指して、そう笑った。 君にとって記憶とは、もう一度その瞬間を生きることなのだと思う。 逢えないだけでは忘れられない。つまりはそんなふうに。

彼は「さようなら」と告げ、君は「またね」と手を振る。 そんな君の挿話がいつしか本筋に変わり、グラスに入れた三個分の氷が溶けてなくなる頃、依存はその頃から始まっていたのね、と君は結論づけた。僕はどのタイミングでそのことを指摘しようか迷っていた…

失いたくはないだけで、ただ手にしている。 いけないことではないよね。ひとり言の様に訊ねる君の台詞に、そうだったら良いな、と思いながら「希望的な観測は好きかい?」と訊いた。君ははにかんだ後で小さく首を振り「質問をする時は、いつも答えを決めてか…

もうすぐ、とはいっても一年以上はあるのだけれど。 それでもそう多くはない時間が経ってしまえば、僕らの二十代は終わってしまう。その時には「三十路の世界へようこそ!」なんていう周りからの台詞に、どんな返し方をも用意していなかった僕らは、ヘラヘラ…

新聞を見た時、高齢で亡くなった人たちも表記されているなか、あいつの年齢だけがやけに浮いていて、思わず「何やってるんだよ」って零してしまった。 一昨日、小・中学校時代の同級生が死んだ。死因までは書いていなかった。何気なく見たおくやみの面で知っ…

秋晴れの空。多くの記憶の背景となった、あの淡い青空。 そんな色に気づく度、好きなものが変わっていないことを嬉しく思う。 鳥は好きだよ。そう返事をする僕に、全然似合わないと君は笑った。 いつも君好みではない答えになってしまうのは、きっと僕好みの…

やっと言葉にすることが出来たと思ったのに、言うべき相手が居なくなってしまった。そう笑う君に、どんな表情で笑い返したら良いのか分からなくて、ただ頷いた。 簡単に非を認めるあいつは、卑怯な人だったと思うよ。 結局、僕らが代わって拾うのだから、さ…

ビール九杯、ズブロッカボトル四本。五時間かけて、三人で。 過去を時系列に並べるのが面倒だからと、ここ数日の出来事のように君は話した。その話の中には「Cloudberry Jam」だとか「スプートニクの恋人」だとか、懐かしい言葉が含まれていて、悲しい物語な…

一日中、降り続く雨。 思えば九月はよく雨の降る月になった。そして置き忘れた傘たち。今ではもう、どこにあるのかさえも知る事は出来やしない。 友達と呼べる人に会ったのは二ヶ月振りだった。 そう呼べるはずだった奴らが、おもしろいくらいに減っていくよ…

何かを切っ掛けにするのなら、きっと季節の変わり目が良い。 例えばそれが、残った熱を冷やすような雨脚の遅い日ならば、尚更。

もっとグーダラしていたかったなあ、と連休が明けてから思った。 千枚ちょっと。この数日間でそれだけの数の写真を撮った。妻と娘、子供の日の動物園、近所の公園やそこに咲く桜。散歩日和の晴れた空と、その後で雨に濡れた道路だとか。そういえば春雷が鳴っ…

体温三十九度越えの視界はアカデミックに歪んでいて、それに加えて彼女の容赦ないボディプレスだとか、本気のグーやチョキだとか。僕が横たわっているのも、一体どちらの理由でなのか分からないくらい。 そんなふうに一日中寝ていて、気がついた。 十八時頃…

欲しいな、と思ってしまってから、ずっとタイミングを伺っていた。 そうして買ったばかりのチョークを彼女に手渡して、冷えたアスファルトの上に座り込む。不思議そうな表情のまま、手にした物を見つめる彼女に、こうするんだよ、と一本の白線を引いてみせた…

すぐに慣れるものだと分かっていても。その歩き易さに違和感を拭いきれないな、と進む雪解けの並木道。 気温六度。彩りを忘れたままの春。昨日は名残り雪が降った。 春なんて嫌いだ、夏なんてもっと嫌いだ、バカヤロウ。 なんて憂鬱を重ねていた自分と共に散…

どうせ外れるのでしょう、と思っていた予報が当たり、近所から除雪の音が聴こえてくる。 ザクッ ザクッと朝雪を擦る音。その合間に春休みを控えた子供たちのはしゃぐ声だとか。季節にはそれぞれに似合った喧噪があって、その季節にしか鳴らせない音がある。…

延々と同じ曲を聴いていたり、周りが呆れるくらい同じ本を読み返したり。そんな事に関してだけ、我ながら素敵な性分をしているな、って思う。好きなものがはっきりしているというのは案外楽な事だ。自分自身を確認しているみたいで安心感もあるし、曖昧に苦…

徹夜明けの朝に雨、というシチュエーションは嫌いじゃない。むしろ明るい陽射しを浴びて目が眩むよりは全然良い。だけれど僕は冬に降る雨が嫌いだ。春の雪解けとは違って、街並が汚くみえてしまうし、何より情緒的じゃない。雪は陽に解けてくれるのが一番嬉…

朝。地下鉄のホームですれ違った時の、その一瞬だけ見た面影が気になって視線で追っていたら、やっぱり懐かしい知り合いだった。 声はかけなかった。かけられなかった。 過去形にするには勿体無いけれど、現在はそうしなければならないことばかりだ。

浮かぶ月が優しく輝いていた、一年前の今日。 本当にそんな理由で「優月」と君に名付けた。だけれど、いつか色んな知識をつけた君に「なんか、後付けっぽい」と言われそうな由来だから、そのまま伝えようか迷っている。いつだって真実は懐疑の対象になるのだ…

時間は加速する。 どんな理由で笑い、泣いて、依存を覚えたとしても。あの頃の僕らが想像していた以上のスピードで、色や背景は、輪郭だけを置き去りにして褪せてゆく。止せばいいのに、誰かが君の好きだった唄を口ずさんだ。 懐かしさだけならすぐ傍にある…