体温三十九度越えの視界はアカデミックに歪んでいて、それに加えて彼女の容赦ないボディプレスだとか、本気のグーやチョキだとか。僕が横たわっているのも、一体どちらの理由でなのか分からないくらい。


そんなふうに一日中寝ていて、気がついた。
十八時頃になっても、陽は今までよりも高い位置にある。その明るさが子供たちの自転車のベルを凛と鳴らせていた。夕方前から聴こえていた笑い声たちも、まだ高揚を続けている。
濡れタオルを手にしながら少し洒落たことを言う君に、そうだねと頷いた。鼻声だったから訊き返されて、二度繰り返した。
いつのまにか、緩やかに暮れてゆく陽のサイクルが訪れていた。


欲しいな、と思ってしまってから、ずっとタイミングを伺っていた。
そうして買ったばかりのチョークを彼女に手渡して、冷えたアスファルトの上に座り込む。不思議そうな表情のまま、手にした物を見つめる彼女に、こうするんだよ、と一本の白線を引いてみせた。奇声と感嘆。覚えたての拍手。要領を得たと彼女に描かれた何本もの線。君が描いた平凡なアンパンマンと、僕が描いた無難なドラえもんを、斬新かつダイナミックなキャラクターへと彼女がアレンジしてくれる。
そして、まだ曲線は無理なんだね、と僕らは笑った。


すぐに慣れるものだと分かっていても。その歩き易さに違和感を拭いきれないな、と進む雪解けの並木道。
気温六度。彩りを忘れたままの春。昨日は名残り雪が降った。


春なんて嫌いだ、夏なんてもっと嫌いだ、バカヤロウ。
なんて憂鬱を重ねていた自分と共に散歩をしている娘が、あまりにも愉しそうに跳ねるので、「随分と温度差があるね」と彼女に笑われた。
ああ、このままでは駄目なんだなあ。


どうせ外れるのでしょう、と思っていた予報が当たり、近所から除雪の音が聴こえてくる。
ザクッ ザクッと朝雪を擦る音。その合間に春休みを控えた子供たちのはしゃぐ声だとか。季節にはそれぞれに似合った喧噪があって、その季節にしか鳴らせない音がある。そうか、春は始まっていたのだけれど、冬が終わったわけじゃなかったんだ、なんて。

こんなもんだよね、と思った一日がもうすぐ終わる。
はやく、冷たい外の空気が吸いたい。


延々と同じ曲を聴いていたり、周りが呆れるくらい同じ本を読み返したり。そんな事に関してだけ、我ながら素敵な性分をしているな、って思う。好きなものがはっきりしているというのは案外楽な事だ。自分自身を確認しているみたいで安心感もあるし、曖昧に苦手を把握するよりかはずっと愉しい。新しい事を受け入れるなら適度で良い。その方が自分に合っている。そのせいか、未読本を手にする時なんかは少なからずとも勇気を必要とする。買う時はあんなにも簡単なのに、綿谷りさの本だって返してもらったのに、とても不思議。

最近は限られた数曲をランダムだけれど延々と聴いている。
雨の日だから、だとか、何もかもが気に入らない時に、だとか。
そんなふうに聴き分けるわけでもなく、ただただこの曲が好きなんだなあ、と思いながら聴いている。


徹夜明けの朝に雨、というシチュエーションは嫌いじゃない。むしろ明るい陽射しを浴びて目が眩むよりは全然良い。だけれど僕は冬に降る雨が嫌いだ。春の雪解けとは違って、街並が汚くみえてしまうし、何より情緒的じゃない。雪は陽に解けてくれるのが一番嬉しい。


朝。地下鉄のホームですれ違った時の、その一瞬だけ見た面影が気になって視線で追っていたら、やっぱり懐かしい知り合いだった。
声はかけなかった。かけられなかった。
過去形にするには勿体無いけれど、現在はそうしなければならないことばかりだ。