幼馴染みは少しだけ変わっている。
喧嘩の時に刃物を持ち出す六歳児は知っている中でも彼だけだった。
中学の頃に煙草の焼跡で繋いだ左腕の北斗七星を見せて「北斗神拳を極めてしまったぜ」なんて喜んでいるのも彼だけだった。
典型的と言えばそうなのかもしれない。自己表現の仕方を煙たがり、彼の事を蜜柑と呼んだ大人を僕は覚えている。あの頃の僕らは、同じ蜜柑箱の中にいたせいか、それとも尾崎の影響の受けるのが上手かったせいか、そんなシチュエーションを好んで彼と行動を共にすることが多かったような気がする。
先日、その幼馴染みが結婚をした。親の顔すら知らない彼にとって初めての家族は七歳年上のロシア人。子供はまだだけれどと照れくさそうに言った彼の台詞に、僕らは心底腹を抱えて笑った。対人関係をまともに築く事さえ出来なかったはずなのに、どうして異国人との恋愛が成立したのだろうか。いつだって彼のエピソードはこんな調子で、彼を知らなければ笑えない事ばかり。六歳児とナイフの組み合わせも、左腕の北斗七星も、距離を置いて角度を変えてしまえば、僕らにも蜜柑に見えたのかもしれない。
国境を乗り越えて実った蜜柑はどんなふうに育つのだろうな。