僕にとってのターニングポイントは、いつだって季節の変わり目でありたい。例えば春雷が鳴り響いても、事を諦めるには丁度良い雨だと思いたい。何かを始めたり終わらせたり、継続のその決意でさえも、季節に合わせてゆけばきっと上手く運ぶような気がする。それは僕の場合に限って、という話。
自然消滅だなんて思っているのは、自分勝手なあいつだけだよ。笑い話にしたいのか、どんな泣き方をしたら良いのか分からないだけなのか、君はそう言って許容量を超えるアルコールを流し込んだ。僕は無粋にそれを咎めるような真似をせず、いつもと変わらない相槌を打つ。君の切っ掛けが僕の言葉になってしまわぬように、あんたは背中を押してもらって狡いよ、と零されても、よく知っているな、としか返さなかった。どうせ何を言っても、君は酔いに忘れて僕だけが覚えている羽目になるのだ。どっちが狡いのだか。
君は君のタイミングで受け入れたり泣き出せば良いよ。僕はすぐそこにある春の終わりを待っている。


降り止まない雨の例えの後で、だけれど私は、と君は笑った。私は陽の温もりだけで足りるほど謙虚な人間じゃないよ。
そんな古い記憶を巡らせたのは、君から届いた「らしく」はない便りに動揺したせいなのかもしれない。格式張った招待状の隣で歪にひと折りされた便箋には「おほほほ、ほほ」の文字だけ。その折り方と屈折した読点だけが、僕の知っている君に結びついている。どうやって、どうやって嫁ぎ方を学んだのだろうと思ったよ。
だらしのない君の交際録は、ヒミツという名の誰もが知っている共有情報だった。ここだけの話だけれどね、なんて行から多くの交際相手とパトロンが登場し、僕らは中学生のように身を乗り出して君を喜ばせる。謙虚に生きられないのは傘の差し方を知らないだけなんだ、と誰かが擁護しようとして怒らせたことは、君だけが忘れてしまう挿話になった。きっと今頃、皆も同じように動揺して思い返しているはずだ。


若くして籍を入れた僕に「馬鹿だよね」と軽口をたたいた君。コンチクショウ いつかその時は! なんて考えていたけれど。その前に。
温もりに満ちた君に、拍手を。


「代価は要らないから、全ての本を引き取ってもらえませんか」
君が馴染みの古本屋の店主にそう尋ねると、彼女は承諾の代わりに、何かあったのかいと訊いてきた。そういうことが出来る人間になりたかったんですよ。君は本当の理由を言わずに誤摩化した。


君が所有する本のほとんどはハードカヴァーの文学書で、数えてみるとそれだけで百五十冊弱になった。その他にエリオット・アーウィットの写真集が数冊、幾つかの詩集とエッセイ、ビジネス書、エトセトラ。
ページを開かない、と決めてから本棚へ手を伸ばしたのは、アルバムを捲るような感傷に浸りたくはなかったからなのだと思う。探していた古い手紙や写真が挟まっていたら? と僕が訊ねると、下らないことを訊くなといった表情で「無くしたものを見つけた時、大概は現在必要としていないことを、彼女に教えてもらったんだ」と笑った。僕は、それも本のどこかに挟まっていた台詞のくせに、と笑い返した。


店主は段ボールを抱えて現れた君の姿を見るなり、本当に持ってくるなんて思わなかったと驚き、私には無理ねと続けた。君も無理だと思っていたと返した。愛着のある本はないのかいと尋ねられ、全部ですと答えた。全部が好きだったと答えた。


彼は「さようなら」と告げ、君は「またね」と手を振る。
そんな君の挿話がいつしか本筋に変わり、グラスに入れた三個分の氷が溶けてなくなる頃、依存はその頃から始まっていたのね、と君は結論づけた。僕はどのタイミングでそのことを指摘しようか迷っていたけれど、なるほど やっぱり答えは決まっていたのか、なんて変に感心をし、復習不足の自分を嘆いていた。
依存について深く考えたことはなかった。勿論、この挿話を聞いた後でもそうするつもりはない。きっと君も数少ない語彙の中で無造作に選んだ言葉だったのだと思う。だからこそ僕らは薄っぺらな響きに苦笑いをした。なんてことはない。雨の日と月曜日は気分が滅入るって、どこかの兄妹も歌っていたはずだ。

別れ際。今度は君が「さようなら」と先に言った。
「さようなら」。そして彼は「またね」と付け加えて手を振る。
君は振り向いて、奇麗な笑顔と下品な中指を見せてくれた。


失いたくはないだけで、ただ手にしている。
いけないことではないよね。ひとり言の様に訊ねる君の台詞に、そうだったら良いな、と思いながら「希望的な観測は好きかい?」と訊いた。君ははにかんだ後で小さく首を振り「質問をする時は、いつも答えを決めてから訊くの」と笑う。希望的観測でも同意でもなく、欲しいのは言葉として清書をする時間なのだと。
僕は「面倒臭いよ」と笑い、君は「お互い様でしょう」と返した。


もうすぐ、とはいっても一年以上はあるのだけれど。
それでもそう多くはない時間が経ってしまえば、僕らの二十代は終わってしまう。その時には「三十路の世界へようこそ!」なんていう周りからの台詞に、どんな返し方をも用意していなかった僕らは、ヘラヘラと笑っているに決まっている。
そこまで話した後、初めて君が「憂鬱だろ」と訊いてくるから、帰り際になんという残酷な話を聞かせるのだと笑った。あいつは狡いなあと思いながら、大袈裟に笑った。